先生方から「今後の教育にはディベートが必要です」と熱弁されるのですが、「本当か?」と思いながらなかなか首を縦に振れません。教育現場にディベートは必要ない!って立場で記事を書きますね。
Yahoo知恵袋を見たら、こんな記事を発見。
日本はディベート教育をもっと導入するべきだと思いますが、どうでしょう?
それは、論理思考を磨くためです。
日本人は論理思考が苦手すぎます。
例えばニュースで犯罪記事を読めば「死刑にしろ!」「こんなやついらん!」なんてコメントが飛び交ってます。
(このような中傷を見聞きする度にうんざりします。)こういう人達は論理思考ができない代わりに、屁理屈はできるようですが、それでは役に立ちません。
自分もディベートの経験が浅く、論理思考は未熟です。
教育は知識を詰め込むだけではなく、知識の幅を広げるものでもあります。
自らが学習に向かう能力を持つため、そして論理思考を鍛えるため、もっとディベート教育に力を入れるべきではないでしょうか?
ディベートを教える立場の人間としてハッキリとお応えしておきますね。
不都合な真実のオンパレードかと思います。ご容赦ください。
目次
論理思考を磨くためにディベートは有効か?
ここでいう「論理的思考」とは何でしょうか?おそらく、この意味が共有されていないと、ディベートを学んでも時間の無駄になるだけです。即興ディベートワークショップの参加者様も勘違いをするのですが、ディベートで学ぶのはトゥールミンモデルや三角ロジックといった限定的な論理です。
また、いわゆる広い意味での論理手思考を学ぶのではなく、アーギュメントに特化した論理的思考です。
そもそもまともなディベート講師は「論理的思考」なんて言葉は使わない
意外と知られていないかもしれませんが、まともなディベート講師は「論理的思考」なんて言葉は使いません。なぜなら、この言葉自体がものすごく抽象的ですし、聞き手の解釈によって勘違いされる恐れがあるからです。
もちろん、中にはいますよ
- ディベートを学んでロジカルな思考を身につけましょう
- 論理的な思考を育むにはディベートは最適です
- ディベートを学べば論理的思考力が学べます
・・・これ・・・確かに一般人ウケはするのですが、ディベートを始めると気づくんですね。ディベートで学ぶ論理的思考のモデルは一般的な論理的思考のモデルとははるかにかけ離れていることを。
この辺に関しては、トゥールミンロジックの記事で解説をしています。
ディベート実践編!トゥールミンモデル(ロジック)-6つの論理
トゥールミンモデルという言葉で検索をして頂きありがとうございます。結構、通の人かと。(笑) 苫米地英人さんの著書:「ディベートで超論理的思考を手に入れる」を読んだときに、「トゥールミンロジック」を知り ...
ディベート→論理的思考・・・短絡すぎじゃね
ディベートを学べば論理的思考が身に尽きます!とおっしゃる方がいますが、その理由を示していない時点で全然論理的じゃないんです。これは他のディベート講師にも言えます。
なんでディベートを学べば論理的思考が身につくんですか?
この命題について自分の言葉で説明できなければ、そもそも論外です。
以前、ディベートの先生に「なんでディベートを学んだから論理的思考が身につくんですか?」と質問をしたら、その先生は「いや、だってディベートはそういうもんでしょ」と切り返しました。
・・・諦めたので試合終了
日本人が論理的思考が苦手・・・
では、アメリカ人は論理的思考が得意だといえますか?私は、中高時代はアメリカに住んでいました。現地校に通っていました。論理的な子供っていませんでしたよ。もちろん、中には論理的に話せる学生もいましたよ。
判断のポイント
私が「Why So?」という質問をしたら、BecauseとFor exampleをたくさん使って答えてくれたか?で判断をしています。
一部のアメリカ人が論理的なだけなんです。そもそも論理的に物事を考えているのなら、ニュースで騒がれているような暴走運転やドラックなんてしないでしょう。で、これは日本もアメリカも一緒なんです。
お国柄関係なく、論理的な人は論理的だし、論理的じゃない人は論理的じゃありません。
あとは、どちらのの考え方が支持されているかです。
誹謗中傷のコメントについて
例えばニュースで犯罪記事を読めば「死刑にしろ!」「こんなやついらん!」なんてコメントが飛び交ってます
確かに、たくさんいますね。何かにしろニュースに対してブチ切れる人ですね。しかし、これはどこの国も一緒です。アメリカだってデモを起こしますし、メディアが発信する情報に対してすぐに反応する人もいます。ここら辺は万国共通じゃないですかね?
騒ぐ人が悪目立ちをしているのが正直なところです。そんな悪目立ちをしている人たちを見て、日本人の多くは、問題に対して騒ぐだけで、建設的な議論をしないと決めつけているにすぎません。
少数のグループの傾向をあたかもすべてに当てはめてしまう思い込みに囚われているだけです。
これを「一般化」といいます。
一方で、このような問題を取り上げて、冷静に分析や解決策について考えている人たちもいます。私は、どちらかというとそっちのタイプです。同じ考え方を持つ人同士で集まって、現状分析や解決案についてだけお話をしたいから、即興ディベートワークショップを立ち上げました。
即興ディベートワークショップの参加者様は、政治家や議員さんの悪口を言いません。
以前、舛添さんが予算を私的利用したときがありましたねよね?その時も、舛添さんについて文句を言うのではなく、都知事を都民のアンケートで決める法案を作ったらどうだ?というテーマを作り、淡々とディベートをしいました。
一方で、「政策」や「法案」についてはとことん話し合います。そういうコミュニティーですから。
日本の教育現場でディベートしないほうが良い理由
教育の現場にディベートを取り入れることについてまとめると、学習指導要領の中にディベートを組み込むのはどうか?と思います。あくまで学校側のポリシーに準じるべきであり、児童・生徒に義務化する必要はどこにもないんですよね。
むしろ、しないほうがいいと思う!
その理由は、教員や大人ですらディベートは必要だと気づきながらも、自分はディベートなんてやりたくないとお考えの方が多いことを知っているからです。子供にはやらせたいけれど、自分ではやりたくない!って本音が隠れているんです。
これを裏付けるかのように、ディベートを指導する立場の人間がディベートをやりたがりません。ディベートの限ったことではなく、英会話やプログラミングにも似たようなことは言えますよね(笑)
だから、いま無理をしてディベート教育を行っても、ディベートができない頭でっかちな先生が教科書通りにディベートを教えるだけの縮図になってしまうんですね。
ディベートができない教授ディベーター達が多くね?
こんにちは。 この記事では、ディベート業界にあるある!ディベートができないディベート講師達についてお話をします。 てか、日本のディベート界隈には、選手としてディベートができないディベート講師の方が本当 ...
なら、現実的に考えて、教育効果は薄いのでしないほうがいいんです。教育現場の中で責任の押し付け合いが始まります。
もしも学校教育にディベートを取り入れるのであれば
指導する立場の人間がディベートができるようになり、子供たちに直接教えるのがいちばんです。教育員会や学校側など組織に働きかけるのではなく、草分け的なところから始めて、徐々に浸透させていくほうが現実的です。
少なくとも、私はひとりでそうやっていきました。即興ディベートワークショップでは、学校の先生たちにディベートを教えていました。先生たちも、学校や教育方針を参加動機にしていましたが、最終的には自分の意思で来てくださいました。
もちろん、全ての先生が学校の授業にディベートを取り入れたわけではありません。ですが、本当にディベートが必要かどうかをご自身で判断して下さいました。そのうえで、今の教育に何が足りないのかを気づくきっかけになり、ディベート以外の方法でなおかつ自分ができる範囲で改善を図ってくださる先生もいました。
それでいいんです。
何も考えずに「ディベートを取り入れて、論理的な考え方を身につけて・・・」と言っている人よりかは、よほど論理的に物事を考えて、適切な判断を下しています。何よりもご自身で行動されています。
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最後まで読んで頂きありがとうございました。
さて、次回は
- 子供たちに絶対にディベートを教えたほうがいい
- ディベートで本当の論理的思考力が身につく!
って記事も書いてみますね。(笑)
この記事と言っていることが違うじゃねーか?
と突っ込みたくなるのはわかります。
はい、仰る通りです。誰の立場になっても考えを表現するのがディベートの技術であり、それを学べるのがディベートなのです。自分の考えを表現する手段じゃ人です、ディベートは。