-ただいまダラダラと更新中。2022年10月08日
インプロ部のサイトへようこそ。
はじめまして。
インプロ部のサイトを運営している木村なおきと申します。
このページでは、主に即興ディベートについて扱っております。
自己紹介
はじめまして。
インプロ部を運営している木村と申します。
平日はウェブデザイナーとして働きながら、休日にフリーの講師をしています。非属です。ホームぺージ集客・講座の企画・運営をすべてひとりで行っております。複業家です。
元々はディベート専門のブログだったのですが、WordPressサイトを運営しているうちに、Webの知識・技術を身につけることができて、現在はWebデザイナーとして働いています。
インプロ部とは?-2つの意味
意味1.インプロ=即興
別名:台本のない演劇ですね。
即興劇は、台本を用意せずに、即興的な演技手法を用いて、俳優が自発的に演じる形式の演劇である。たんに「即興」とも、インプロヴィゼーション、インプロブ、インプロとも呼ばれる。
Wikipedia
キッカケは、ダニエルピンクさんのフリーエージェント時代の到来という本です。
2015年に「これからの時代はインプロが求められる」という言葉を聞いて、それこそが今後の時代に求められるスタイルだと考えて、本ブログを開設しました。
意味2.impro→I'm Pro(私はプロだ)
英語のimproを分解すると、I’m Proにもなります。
いまだから言えますが、このブログを立ち上げたときは、まだ何もできない人でした。年齢は31歳。元々、IT企業で働いていたのですが、何をやってもダメな人でした。気づけば30代直前に会社から放り出されて職を転々とする日々でした。
いつも面接で「あなたは何ができるんですか?」と質問されて、何も答えられずにミジメな日々を過ごしていました。
本当に悔しかったです。
今でも「あなたは何ができるの?」と質問されると、当時の面接官の顔がフラッシュバックします。
そんな日々を数年間過ごしながらも、「私はプロだ」と切り返したい!という気持ちでした。
プロフィール
30歳になりました。この時は、何のスキルもない無能な30歳フリーターでした。
そんな中、私が唯一人の誇れるものは、この「ディベート」でした。
ディベートは学生時代から打ち込んできて、知識と実践経験は十分にありました。
ディベートだけには自信はあったのです。
ディベートを人に教える資格はないだろ!
なんのスキルも資格もない無能な30歳フリーターからディベートを教わりたい奴なんているか?
はい、いないです。
私であれば「そんな人から教わる意味がある?」とツッコミのひとつでも入れるでしょう。
いまでこそ、ディベートの経験は武器になっていますし、ディベートのスキルがあるから、Webデザイナーや性格タイプ論のカウンセラーとして活躍ができています。
ディベートを売り込まなくても、自分自身を売り込めば、お仕事を頂けます。
全てディベートのたまものです。
しかし、30歳の頃の自分からは全く想像ができませんでした。
いや、もっと言うなら35歳まで、そんな自分を想像することすらできませんでした。
そんな中、直観なのか、Webデザイナーになろう!と決意しました。
略歴:30歳~38歳までの軌跡
- 30歳:WordPressブログを始めて即興ディベートブロガーになる
- 31歳:サポステをクビになり、Webデザイナーを目指そうと決意
- 32歳:即興ディベート講座開始→Webデザイナーデビューを果たす
- 33歳:Webデザイナーを辞める。結果なれる。コーチングを学ぶ
- 34歳:会社を辞める。開業届を出す。営業ができずに苦しむ
- 35歳:Web制作会社で派遣社員として働く。休日は講師業
- 36歳:コロナの影響で派遣切り。フリーランスのWebデザイナーになる
- 37歳:オンラインカウンセラーとWebサイト制作の2刀流で攻める
- 38歳:プロのなる夢を果たす。3年ぶりにディベートの講師を目指す(と決意)
30歳:WordPressブログを始めて即興ディベートブロガーになる
そんなモヤモヤとした気持ちで「なんでもいいからプロになりたい」と考えて取り組んだのが、Webサイト制作でした。
キッカケはとある「稼げる系」の情報商材
ヒドイ教材でしたが、その中に入っていたおまけ教材にWordPressマニュアルがありました。
教材に書かれている通りに、手を動かしたらWordPressサイトができました。
30歳のときは、ブロガーとして活動をしていました。
しかし、文章が書けない、記事が書けない
はい、文章を書くのが凄く苦手でした。
でも、ここで挫折をしたら、人様にディベートを教えられない!と自分を鼓舞しました。
ひどい文章でした。今でもひどいです。
結局、ブログを書き上げる自信がなかったので、中途半端でもいいから公開することにしました。
後からリライトすれば何とかなる!の精神で次々と記事を殴り書きしては、スマホで読み返しては、そのひどさに落胆します。
ただ、この経験が、今日のWebサイトは更新が9割、リライトをすれば勝てる!に繋がっています。
31歳:サポステをクビになり、Webデザイナーを目指そうと決意
当時は、ニート就労支援室で働いていました。
お仕事は楽しかったです。しかし、3か月後に解雇通知を頂きました。
サポステの解雇理由
サポステではパソコンの講師として働いておりました。
松岡修造ぽくなったことが原因です。自分のことを棚に上げて、ニート・引きこもりの人たちに就職することを要請。
本部に行ったら解雇通知を見ることになりました。一瞬あたりが真っ白になりました。
解雇通知を頂いた経緯:サポステ(ニート就労施設)をクビになり、ニートになったお話
Web制作の職業訓練校に行く
予告なしの解雇で1カ月は事業所に所属と自宅待機。給与6割。
絶望に打ちひしがれながらも、次の転職に備えてハローワークに足を運びました。
職業訓練校でWeb制作の学科がありました。
事業所都合で職を失ったので、すぐに合格です。
一気にメンタルが回復しました。
3か月みっちり勉強しました。Web制作会社で働けるんだ!と期待を膨らませていました。
はい、世の中そんなに甘くない。お祈りメールを山のように頂き、現実を突きつけられました。(当たり前だ)
2015年12月25日に頂いたお祈りメールをキッカケに、その年ははWebデザイナーになることを諦めました。
流石に、この時は10年ぶりに泣きました。
32歳:即興ディベート講座開始→Webデザイナーデビューを果たす
2016年は派遣社員をしていました。派遣元はスタッフサービスです。
テレアポと英文事務職のお仕事を頂くことができました。
色々な人から支えられてメンタルは回復しました。
ただ…「このままでいいの?」という不安が脳裏をよぎりました。
即興ディベートの講師を目指す
幸い、ブログのアクセスは好調でした。ビックリするぐらいでした。
2016年4月にディベートブログをWebサイト仕様にして、Webサイトで成果をあげようと決意しました。
その時に企画をしたのが『即興ディベートワークショップ』でした。
嬉しいことに、初回から2名の方からお申し込みを頂くことができました。
2016年は毎月定期的に開催をして、2~8名の集客ができていました。
これが当たり前だと思っていました。
ただ、嬉しいことに、この実績が認められました。
子供英会話スクールのマーケティング事業部でWebデザイナーの求人に巡り合え、すぐに採用が決まりました。
正直、何かで実績をあげたかった
いま振り返ると、この時は何でもよかったのかもしれません。派遣社員といういつ契約が満了になるかわからない働き方をして行き先が不安だったのだと思います。
そのエネルギーが、何でもいいから自分にしかできないことをやってやる!に繋がっていました。
当時のモチベーションの正体に気づいたのが、エニアグラムを学んでからでした。
少なくとも32歳のときに、確実に「何者」かになれた手応えを得ることができました。
何よりも1年前の夢を実現できたことが心の底から嬉しかったです。
33歳:Webデザイナーを辞める。結果なれる。コーチングを学ぶ
え?なんでやめたの?
はじめの3カ月お試し期間で生き残ることができませんでした。。。。
圧倒的なスキル不足が原因です。
4月から無職ドットコムです。ショックではありましたが、最初の機会をくれた某子供英会話スクールの事業部長には今でも感謝しています。
デジタルマーケティング会社に転職
5月から別の会社に入りました。某デジタルマーケティング会社の営業でした。
この時は、自分はWebデザイナーになる資質はない!と諦めました。ブロガーに戻る決意をしました。
就業最初の2カ月は研修を兼ねて技術翻訳の業務でしのげました。7月から営業のお仕事を始める予定でした
しかし…ここで大きな問題が…。
営業にはもっと不向きだった
営業経験はゼロ。33歳になって、社外の人にビジネスメールを送った経験すらありませんでした。
人は私のことをこう呼びます。
「社外メール童貞」と。
その時に社長から頂いた言葉です。
「あなたはお客様に紹介できない。当分、何もしなくていいから、うちのサイトを更新でもしながら、商品知識を深めておいて。あと、来月から新しい商品をリリースしたいからランディングページでも作っておいて。以上」
…ヤッター!(申し訳なさそうな顔をして、心の底から喜んでいました)
この会社に担当のデザイナーがいました。
しかし、システム関連のお仕事で忙しく、社内サイト更新まで手が回らなかったのです。
我武者羅にWebサイトの更新をする
こうして、Web制作会社から放り出されて、Web制作のお仕事を諦めたのにも関わらず、再びWeb制作の実務経験を積む機会にありつけたのです。
従業員3~4人の会社でサービス残業が恒常化している会社でした。世にいうブラック企業でしたが、お陰様で時間を気にすることなく、Webサイト制作を実践する機会を頂けました。
土日に休みを頂けたのがラッキーでした。休日のディベート講師は順調でした。
コーチング心理学を学ぶ
とはいっても、即興ディベートワークショップでは、余裕でプレゼンができるのにお客様を目の前にすると、全然口が回らないのは問題です。
何か心に病があるのでは?と自分を疑いました。
この課題をクリアできなければ、負け続けの人生を繰り返すことになります。
そんなことを考えながら、目に留まったのが、コーチング心理学協会主催の「エニアグラム心理学コーチング」でした。
これだ!