こんにちは、木村です。
論理的に物事を考えて話せるようになりたいからディベートをしてみたい!
という理由で即興ディベートワークショップに参加をする方がやっぱり多いです。
「論理的に物事を考えられるようになりたい」
「自分の意見を論理的に話せるようになりたい」
「相手から突っ込まれないためにはやっぱり論理が必要だと思った」
申込メールで必ずこのようなことを書いてくれる人がいます。ありがとうございます。
あなたの期待には最大限お答えしますよ。
一方で、「論証」という言葉を使う人は未だに一人もいません。そして、ディベートは、論理力や論理的思考力よりも、論証力のほうが求められます。今回は、この論証力についてみていきましょう。
1.論理と論証の違い
1-1.論理とは
1 考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保証される法則や形式。「論理に飛躍がある」
2 事物の間にある法則的な連関。
何だかこの説明だと解りにくいかもしれませんが、あーなったらこうなる!みたいな話し方です。
AならばB、BならばC、よってAはCみたいな話し方も論理的だと言われますね。
例えば、こんな感じ。
日本の英語教育は読解や文法などの暗記が中心であり、英会話やライティングなど発信型の科目には力を入れていない。一方で、グローバル化が進む現代の社会で求められているのは、自分の考えや想いを異なる文化の人に伝える力ではないか?その証拠に、日本人が海外の人達と英語でディスカッションやディベートをするやっぱり大人しい人が目立つ。この原因は、幼少期から英語で話す訓練をされていないからではないだろうか?よって、英語の教育を改善するべきだ。
このような話し方ができるだけで、周りからは正論を主張しているようで、凄く論理的だと言われます。ですが、上記の話し方は論理である主張と別の主張を強引につなげているだけで、全然論証をしていません。
論理的に話しているように見せかけても、論証をしていないんです。
1-2.論証とは?
[名](スル)ある与えられた判断が真であることを妥当な論拠を挙げて推論すること。その論拠が公理・公準などか、または経験的事実かによって演繹 (えんえき) 的・帰納的の別があり、また帰謬 (きびゅう) 法によるか否かによって間接的・直接的の別がある。証明。立証。
・・・なんだか回りくどい言い方ですね。かみ砕いて説明をすると、自分が主張したことが間違っていないことを証明すること、です。
もう一度、この文章を見てみましょう。
日本の英語教育は読解や文法などの暗記が中心であり、英会話やライティングなど発信型の科目には力を入れていない。一方で、グローバル化が進む現代の社会で求められているのは、自分の考えや想いを異なる文化の人に伝える力ではないか?その証拠に、日本人が海外の人達と英語でディスカッションやディベートをするやっぱり大人しい人が目立つ。この原因は、幼少期から英語で話す訓練をされていないからではないだろうか?よって、英語の教育を改善するべきだ。
- 日本の英語教育は読解や文法である→本当か?なぜそうといえるか?
- 英会話やライティングなど発信型の科目に力を入れていない→本当か?なぜそうといえるか?
- グローバル化が進む現代の社会で求められているのは、自分の考えや想いを異なる文化の人に伝える力ではないか?→本当か?なぜそうといえるか?
- 日本人が海外の人たちと英語でディスカッションやディベートをするとやっぱり大人しい人たちが多い→実際に見たの?テレビの中だけではないか?
- 幼少期から英語で話す訓練をされていないからではないだろうか?→なぜ幼少期から英語で話す訓練をされていないからと言い切れるのだろうか?
- 英語の教育を改善するべきだ→英語教育を改善すれば変わるのだろうか?
漠然と聞くとなんとなく論理的に思えてしまうのですが、注意深く聞くとなにひとつ論証がされていないんですね。
だから、こんな質問を受けただけで一発でアウト!!!
「それ本当?」「なんでそうなるの?」「だから何なの?」の3つの質問に答えていくだけです。
2.論証力=ディベート力
ディベートの試合は、究極的には肯定側と否定側の論証の競い合いです。ディベートは説得力を競うゲームだと言われていますが、たくさん論証したほうが勝ちます。特に初心者同士の試合だと、正しいか正しくないかは別として、たくさん情報を出したほうがやっぱり勝ちます。
要点をシンプル&コンパクトにまとめても、要点の説明がキチンとなされていなければ、その発言は説得力がないとみなされます。外資系企業や年配で管理職についている人たちがハマる罠です。
相手より多く答えたほうが説得力が高いと判断されて、ジャッジから投票してもらえます。
いちばんダメのなのは、主張ばかりを言って、理由や根拠をキチンと示さないことですね。これは論外です。また、断片的な事実を述べて、一番必要なことを伝えていないケースですね。