ドラッカーが1942年に『産業人の未来』という本を発行したときのお話です。
ある日、ゼネラルモーターズ(GM)の副会長であるドナルドソン・ブラウン氏から目がとまりました。
ゼネラルモーターズは、1940年代の米国でNo1だった自動車企業です。世界最大の自動車会社でしたね。フォードは見事に抜かれました。そんなゼネラルモーターズのトップ・ドナルドそんからドラッカーに直接及びの声がかかりました。
- ドナルドソン『うちの会社の組織と経営を分析してほしいんだけれど・・・』
- ドラッカー『いいっすよ。徹底的にインタビューしたいから18カ月期間頂戴』
とのことでした。
この取材のオファーこそが今後始まるドラッカー伝説の幕開けだったのです。
はじめに
1.GMの調査依頼
早速、ドラッカーは本当に18カ月の期間を費やして、工場の労働者から当時のGMの経営陣に対して直接取材を行いました。
地道な取材が好きなんですね。流石、新聞記者。
18ヶ月後に調査が終わり、これまでの調査報告をするためにドラッカーはアルフレッドスローンのいる会議室に足を運びました。豪勢な経営陣を目の前にして、当時のGMの最高責任者であるアルフレッドスローンはドラッカーにこう言いました。
1-1 アルフレッドスローンの注文とドラッカーの暴言
「何を調べ、どんな結論を下すか。あなたの自由だ。注文は1つだけ。『こんな助言なら気にいってもらえそう』などと決して妥協をしないでもらいたい」
要するに、媚を売るな!ってことですかね。さっそくドラッカーは、アルフレッドスローンのリクエストにお答えしました。
「オタクの経営はダメダメ!完全に官僚化していない?人をロボットのように扱っていない?現場不満だらけっすよ。ぶっちゃけ。今はいいかもしれないけれど、今後の変化には耐えられんぜよ!わかる?ビジネスは会議室で進んでいるんじゃないの?現場で起きているんだーーーー」
とGMの経営陣たちの感情をあおるようなものの言い方でした。
1-2 出入り禁止を受けることになる
決定的だったのは、調査をするだけではなく提案をしたことです。提案というよりも、「さっさと従業員たちへもっと権限を与えなさい。従業員の管理は従業員にさせなさい。」とフリーダムを感じさせるようなアドバイスをした点でしょう。
パンクロッカー的な発言です。(実際は、もっとオブラートに包んだと思います)
あまりの過激な発言にアルフレッドスローンがキレたのか、他の幹部陣がキレたのかは、解りません。
とりあえずGMの経営陣たちを怒らせてしまい、「禁書」になりました。要は、出入り禁止です。
この後にGMへの出入り禁止を受けることになるのです。
2.GMをネタにした書籍を出版
1946年に発行した「会社という概念」という本です。1946年は第二次世界大戦後でもあり、まなマネジメントという言葉に対して馴染が浅く、経営=マネジメントという概念が確立されていませんでした。
GMのマネジメントに足りないのはマネジメントだ!と批判することで、それをネタにマネジメントという言葉を一気に流行らせたのです。
2-1 官僚組織を批判することでマネジメントを流行らせた
当時の経営者達は、ゼネラルモーターズのような大きな官僚組織こそが理想の組織であり、経営陣たちが従業員を完全にコントロールするような軍隊系の組織こそがあるべき姿だと考えられていました。ドラッカーは、そんなGMに異を唱えたのです。
てっきり自由かと思っていた。
アメリカの会社は日本よりもはるかに官僚的よ。
上の命令は絶対だし、完全にトップダウンの世界よ。
ドラッカーはそんなゼネラルモーターズの官僚的で身動きが取れない経営を真っ向から批判するような言葉をたくさん連発しました。たくさん批判を受けました。学界からも追い出されました。
ところが、アンチ・ゼネラルモーターズ的な思想を持つ経営者たちからは強い支持を得ることに成功しました。当時GMとの競争に敗れたフォードモーターズはドラッカーにコンサルティングを依頼をしました。『会社という概念』は、GMと学界からは悪評でしたが、フォード再建の教科書になりました。
3.フォードがドラッカーにコンサルティング依頼・・?
フォードがGMに敗れた原因はいくつかありますが、一言で説明するなら「時代」です。
人から社会人になった大衆はフォードに『豊かな奴隷を量産する独裁国家経営』に耐えられなかったのです。詳しくは、テイラーの生産性の最大化とメイヨーの人間的経営!あなたはどっちに投票する?を参照してください。
次に、GMがフォードに勝った要因についてちょっとだけ説明します。
フォードがGMに敗れた理由
GMは、ひとりひとりのニーズをくみ取るのが上手でした。それは従業員からお客様まで、一人ひとりが何を求めているのかを理解して、商品から働き方までピッタリなものを提供していました。
- 従業員に対して:一人ひとりに専門性の高い役割をキッチリと与えた
- お客さんに対して:商品のラインナップも大衆車から高級車までと多品種で提供した
組織も専門度の高い労働者を採用して、自分の得意な仕事に特化させる仕組みを作りました。専門性が活かせるお役所組織だったのでしょう。いわゆる、外資系企業のような組織体制ですね。
ドラッカーの答え!マネジメントが大事
ところが、ドラッカーからしたら、フォードのような独裁国家経営もGMのようなお役所組織も、今後の企業を中心とした今後の産業社会では生き残れない、点では同じです。
産業社会とは、社会の中心が産業になる社会です。政府の影響力が衰えて、産業界に影響力が強まるようになりました。資本主義がヒットした時代でもあり、政府はドンドンと縮小して大きな政府から小さな政府へと時代が動いたわけです。この変化は今後ディベートをするときにも役に立つので是非とも覚えておいてくださいね。
さて、話を戻してドラッカーに移ります。
フォードをネタにしてのし上がる
フォード再建に成功したのかどうかは微妙ですが、抜け目のないドラッカー先生。フォードの再建した実績をまたもや本にして発表します。当時のGE、IBMやトヨタ自動車もドラッカーの本は参考にした話は有名です。
先ほど解説した大きな政府から小さな政府に流れるように、企業も経営者や経営陣が高いところから企業を支配するのではなく、現場のマネージャー一人ひとりが責任を持って、自分たちで考えて、事業を推進させる社会です。ドラッカーの中で主役は経営者ではなく、現場のマネージャーだったのです。
「オレはこうしてフォードを再建したぜ!チェックザドラッカー伝説!」的なノリです。
はい、1954年に発行された『現代の経営』という本です。著書では、ドラッカーは、マネジメント分野でのリーダーとしての地位をゲットすることに成功しました。