ピーター・ドラッカーといえばマネジメントの生みの親として知られていますね。
もしも野球部のマネージャーがドラッカーのマネジメントを読んだら、という小説がブームになり、映画にもなりました。これを機会にドラッカーという存在は多くの人に知られるようになりました。
ただ残念なことに、名前だけが売れてどういう人物であるかはあまり知られていないのが実情です。
はじめに
1.ドラッカーとはどんな人物か?
マネジメントの生みの親として知られていますが、マネジメントという言葉は昔から存在していたので生みの親ではありません。どちらかというと、マネジメントの概念を広めた伝道者でしょう。
1-1 ドラッカーのプロフィール
Wikipedeiaでドラッカーのプロフィールを確認してみました。マネジメントの経験がありませんでしたね。
ピーター・F・ドラッカーPeter F. Drucker
1909年11月19日-2005年11月11日
1909年、オーストリア・ウィーン生まれ。フランクフルト大学卒業後、経済記者、論説委員をつとめる。1933年ナチス・ドイツの不興を買うことを承知の論文を発表して、ロンドンへ移住。マーチャントバンクでアナリストをつとめた後、37年渡米。ニューヨーク大学教授などを経て、71年、ロサンゼルス近郊のクレアモント大学院大学教授に就任、以降この地で執筆と教育、コンサルティング活動を続けた。
Wikipediaより
ドラッカーのプロフィールを読んだときに不思議に思ったことがありました。
1-2 マネジメントの研究経験・実戦経験なし
ドラッカーは、経営に関する本を数多く出版しています。出版がキッカケで経営者からもマネジメントについてのコンサルティング依頼を何度も受けています。
だから、ドラッカー=マネジメントの専門家というイメージが強いのかもしれません。
ところが、大学で修士や博士として企業のマネジメントについて研究をしていた経験もなければ、企業で管理職の仕事をしていたわけでもありません。
最後は、ニューヨーク大学で教授になりましたが、ポーター・コトラーや野中郁次郎のように根っからの研究者ではありません。テイラーやフェヨールのように管理職(マネジメント職)をしていたわけでもありません。
書籍『ドラッカーのマネジメントエッセンシャル版』を開くと、「何だか抽象的なことばかりでマネジメントに関する『具体的な』ことがひとつも書かれていないじゃないか!」とツッコミを入れたくなりますが、当然です。
ドラッカーは、企業に勤めて、管理職の経験をしたがないのですから、マネジメントの実用書は書くことはできないのです。
2.ドラッカーの本職は「書く」こと
では、ドラッカーの本職は何だろう?と考えたときに、一番しっくりくるのが、ライターでした。ドラッカーが人生を通して続けてきたことは、執筆活動であり、文章を書くことです。
後に、出版、経営コンサルタント、大学教授などもしましたが、はじめは売れなくても文章を書いて世に発表をすることです。
2-1 文章だけで成功できると教えてくれた
文章を書くだけで誰もが成功できる!文章ひとつで底辺から誰からも知られるような人物になりあがった人です。これこそ私がドラッカーを尊敬する大きな理由です。
何だかこんなことを言うと、「え、まだ東京で消耗しているの?」のブログを運営しているイケダハヤト氏を思い浮かべますが、彼がしていることは案外とドラッカーと似ています。
世の中に自分の考えや情報を発信する、というのはマーケティングの基本中の基本です。そうしないと誰からも知ってもらえないからです。
ドラッカーは、ひたすら経営に関する自分の意見・考えを世の中に発信して、コンサルタント、財団運営、大学教授の地位をゲットしました。
2-2 研究者・実務家の文章とドラッカーの文章は何が違うのか?
ドラッカーの文章を読んだことがある人はなんとなくわかりますが、全部思い付きです。世迷いごとを文章にして書いているだけです。遠回しに毒を吐いているだけかもしれません。
- 「現代の会社は、儲けばかりに走っておる。けしからん!」(現代の経営)
- 「経営は、えいやーで問題解決するテクニックじゃ」(マネジメント)
- 「もっとお客さんを大切にしろ!誰のために経営をしているか考えろ」(顧客の創造)
- 「他の企業のマネをするな!世の中をびっくりさせるようなものを作り出せ」(イノベーション)
もちろん自身の書籍では物凄く遠回しに伝えていますが、サクッと表現をするとこんなところでしょう。データや自身の経験から文章が書けないから、経営者やサイレントマジョリティーたちの声を拾い上げて、言葉にして伝えています。
ドラッカーがどのように文章ひとつで影響力を持った方法については、「ドラッカーは教祖!マネジメントは経典!ビジネスは宗教?」の記事をご覧ください。
2-3 一部の人たちは、ドラッカーを支持した
ドラッカーの本をよく読むと、会社終わりに居酒屋でビールを片手に管を巻いているおっちゃんたちと大差はありません。世の中を批判しながら、理想論を唱えているだけです。
ところが、卑屈にならずあまりにもタップリに発信をしています。そのひとつが顧客の創造です。
「金もうけに走る企業はアホじゃ!お金ってものなぁ、誰かをハッピーにした結果としてついてくるのじゃ!だから、企業は人々をハッピーにすることを第一に考え、自分たちの事業はだれをハッピーにできるのかを考えることじゃ!経営ってそんなもんだろ!」
と、このように叫んでいるだけです。もちろん、ここで意見が対立します。
- アンチドラッカー:「そんなのはわかっているが、現実的に難しいんだよ」
- ドラッカー信者:「そうだよね!アンタいいこと言うよね!そうなんだよ」
アルフレッドスローンから、「うちの会社のコンサルティングをやってくれないかなー」というオファーを受けました。出入り禁止になるまでGMの経営を批判して、フォードからコンサル依頼を受けます。
ドラッカー、GM、フォードの物語は、「ドラッカー伝説!GMを批判し、フォードを味方につけた物語」の記事でまとめています。一緒になってごらんください。
全ては文章ひとつでのしあがった人!これがドラッカーです。
3.もしもドラッカーが文章を書かなかったら・・・
仮定の話ですが、もしもドラッカーが文章を書いて世に情報発信をしていなかったら、誰かも支持されなかったでしょう。
ニューヨーク大学やクレモンド大学で大学教授にもなれませんでした。
- GMやフォードからコンサル依頼を受けることもできませんでした
- 書籍を出版して自分の声を世に広めることもできませんでした
- 経営者やマネージャーはもちろん、私たちも相手にしなかったでしょう
- もしドラが世に出ることはありませんでした。AKB的に大損失?
GMからオファーがあったのも、その後にフォード社から再建依頼を受けたのも、経営に関する本を出版したからです。その大前提として文章を書いていたからです。
3-1.ドラッカーはウェブマーケティングをしていた
当時のドラッカーは、現代でいうところのコンテンツ/ブログマーケティングを実践していました。もちろん、ドラッカー全盛期の時代はインターネットはないので、紙媒体ですが、本質は同じです。
オリジナルコンテンツを制作して、何らかの媒体で世に発信をして一人でも多くの人に読んでもらう。もしもドラッカーが20代で現在の時代に生きているのなら、お仕事はブロガーを目指しているでしょう。毎日、朝から晩まで経営に関するブログを書いているかもしれません。
3-2 書く!書く!書く!書く!書くの日々
だから、一番ドラッカーに近いのが先ほど紹介をしたイケダハヤト氏なのです。
先ほど、紹介をした「まだ東京で消耗しているの?」のイケダハヤト氏です。イケダハヤト氏も無名のころから文章を書きまくっています。私が、イケダハヤト氏から教わったのは、ウェブマーケティング=ユーザーが求めている文章を自分の言葉で発信すること。これだけです。
実践で使えもしない横文字を覚えることでもなければ、美しいウェブサイトを制作することでもありません。
とにかく、自分の考えや世に発信したいことをコンテンツにして、メディアを使って情報発信をすることです。
3-3 バズったもの勝ち
ドラッカーが成功した要因を振り返ると、偶然にもたまたま書いた本がヒットしたからです。要するに、バズったわけです。金なし、人脈なし、社会的地位なし、学歴なしのゼロの状態から、世界の経営者たちから尊敬する大物になれました。紆余曲折はあったと思います。
これもすべて、文章を書き続けるというシンプルな行動を絶え間なく繰り返していたからです。
ですから、もしもあなたが何もないゼロの状態から何をすればよいのですが?とお考えなら、まずはワードプレスか無料ブログでもなんでもいいので、テーマを決めて文章を書き続けることです。
ドラッカーにできて、私たちにできない根拠は何一つないのです。