ディベートができる・できないの別れ道は、論拠の考え方についてどれだけ理解できているか、どうかです。アカデミックディベートでは、「推論」と呼ばれていますかね。
あまり、日常では使わない専門用語かもしれないかと思います。ここでは論拠の説明から、ディベートの試合の中で論拠はどのように位置づけられているか、私たちの日常でどのように活用すればよいのか、などてんこ盛りでお伝えしていきます。
※かなり解りにくい説明ですが、ご容赦ください。
はじめに
1.「論拠」とは何か?
とりあえず、ネットで調べてみました。
ことバンクより引用
- 【デジタル大辞泉】ことバンクより-議論のよりどころ。議論・論証の根拠。「論拠を示す」「論拠に乏しい」
- 【大辞林 第三版】論証において、ある事実の真偽を判定する根拠となる事柄。 「 -薄弱」 「 -不明」
この説明を読んでみて、解らなくても大丈夫です。
おそらく、ディベートを学ぶ前だったら、こんな説明を聞いても解りませんでしたから。
1-1 論拠の意味 根拠が主張を支えている理由
根拠についてはお解りいただけるかと思います。例えば、何らかの主張をしたら、必ずその主張が正しい根拠を示さなければなりません。ところが、根拠に対して主張を示すのは誰もができること。
ディベートでは、根拠に対して何らかの主張を示して、その2つのつながりを確かめなくてはいけません。
1-1-1 とりあえず、具体例を3つ用意しました
グダグダと説明しても仕方ないので、具体例を見て下さい。
- 事例1
預金通帳を見たら10,000円しかない
→よし明日からハローワークに行かなくては! - 事例2
子供たちの学力が低下しているという報告があった
→教育プログラムを変えなくては - 事例3
今月は20時間残業したのに、残業手当をもらえなかった
→うちの会社はブラック企業だ
以上、根拠と主張のつながりでした。さて、この論理のつながりに納得してもらえたでしょうか?本当にツッコミどころはなかったでしょうか?ツッコミどころ満載ですよね。
だって、本当に大事な部分を説明していないんだから。
事例1-なぜ残高が10,000円だからハローワークに行くのか
お金がないんだから仕事をするのは当たり前かもしれません。ですが、ちょっと待って下さい。
預金残高が10,000円しかなかったら、職探しなんてそもそもできません。つまり、本来は仕事をするべきだけれど、まずは今月生活をしていけるだけ、もしくは就職活動をするだけの軍資金を集めなければいけません。
ハローワークに行くよりも、日雇いのバイトからはじめるのが現実的でしょう。
事例2-学力が下がったから教育プログラムを変えるのか?
現行の教育プログラムに問題があるから改善するべき、と言いたいのは解ります。教育系のコメンテーターの中には、このような論理で今の日本の教育現場に文句をつけたりする人もいます。
ところが、現行の教育プログラムに問題があるのかを証明しなければ、この論理は成立しません。また、教育プログラムを変えれば、問題は解決することも示していません。そもそも、具体的に何をするべきなのか?その中身も言えていません。
このように、表面では、問題と提案がありますが、問題と提案の間にある説明がスッカラカンだったりします。
事例3-20時間サービス残業はブラックなのか?
もちろん、残業をさせておいて時間外手当を支払わなければ違法にはなりますが、ブラックとまで言えるでしょうか?もしも、この論理がまかり通れば、1時間でもサービス残業が成立すればブラックになります。
「いやー、流石に1時間のサービス残業だとブラックとは言えないでしょう?」と切り返したくなりますよね。さて、改めて質問です。
- 「では、1時間と20時間のサービス残業は何が違うのでしょうか?」
- 「1時間も19時間もサービス残業をさせたことには変わりありません」
- 「なぜ1時間は許容の範囲で、19時間は違うのでしょうか?」
ということになります。もちろん、世論というものがありますが、誰がその世論を作っているのかまで、私たちは深く考えません。「何となくそんなもんだろ」で思考がストップしています。
1-2 論拠についてのまとめ
Bが根拠で、Aが主張だとして、ある根拠に対して何らかの主張をしたときに、その2つが繋がっている別の根拠を示さないと本当の意味で論理が繋がっているとは言えないのです。
ほとんどの場合、あなたの中でBとAはつながっているのかもしれません。ところが、別の人から見たら到底理解できないわけです。
2.事実、解釈、判断の違い
もしもあなたが誰かと話していて、会話がかみ合わなかったら、原因は以下の2つかと思います。
- 原因1.同じ事実(経験・状況)を共有していないから、そもそも解らない
- 原因2.同じ事実(経験・状況)を共有したのにも関わらず解釈がズレている
■原因1.同じ事実(経験・状況)を共有していない
原因1は仕方ありません。同じ経験・状況を共有してもらうしかありません。
例えば学校や職場で気になる異性がいてお食事に誘うとします。こんな感じに。
- あなた:「ねーねー、近くに美味しいイタリアンがあるんだけれど、ホント美味しいの。今度一緒に行かない?」
- お相手:「えー、ホント美味しいの?その店にはいったことがないから、よく解らないかなぁー」
あなたは実際にそのお店で食事をして、美味しいと感じたから、そのお店の料理はおいしいと解ります。ところが、相手は、そのお店に行ったことがないから、美味しいかどうかなんてわかりません。
では、どうすれば、美味しいと解ってもらえるか!方法はひとつ!実際に連れて行く!
■原因2.同じ事実(経験・状況)を共有している
では、次は同じ事実(経験・状況)を共有したと仮定して話を進めていきましょう。
今回のイタリアンの例に話を戻しましょう
- あなた:「ね?美味しいでしょう!」
- お相手:「えー、ハッキリ言ってそんなに美味しくない」
- あなた:「そんなことないよ。美味しいよー。だってねー」
- お相手:「だから、美味しくないって言ってるじゃん。うんちくはたくさん」
美味しいかどうかなんて、その人の味覚次第ですからね。今回は、美味しいか美味しくないかの議論なのでシンプルです。決着がつかないことも含めて。
ところが、ご存知の通り、私たちの日常はこの「美味しい・美味しくない」に似た議論がたくさんあります。
デートに誘うのは簡単だけれど、誘った後が本当に大変だよ!ということです。
3.「普通に考えてこうでしょ!」は論拠
以前、女子会にお邪魔をしたときのお話。ある2人が、こんな話をしていました。ワイワイキャッキャしていたけれど、凄く論理的です。女子は男子よりも議論がお好きなのかな、と思った瞬間です。
- 3回目のデート=相手も本気?・・・これは左の女性の中の普通であって、右の女性の方にとって普通ではありません
- 3回目のデートだから普通に考えて、今夜は・・・左の女性の普通であって、右の女性にとっての普通ではありません
共通しているのが、今回のデートは3回目であるといこと。さて、あなたにとって3回目のデートはどんな意味をもつでしょうか?
「3回目のデートと言えば・・・・」答えは何でも構いません。さて、なぜそのような意味になったでしょう?その理由は、それこそがあなたの普通だからです。
「普通に考えて・・・」の普通の定義・解釈が一人ひとり違うから、必然的に議論になってしまう、というのが正解ですかね?
3回目のデートでどうなるか?なんて知ったこっちゃありません。それこそ個人次第です。興味はありますが・・・・。
まぁ、デートは数よりも中身でしょう。(特に理由はありませんが)
これ以上話すと、しつこいので割愛します。
最後まで読んでいただきありがとうございました。2017年からコーチング心理学を学び、2019年からポジティブ心理カウンセラーにもチャレンジをする木村です。そして、気づいたことは、ディベート、コーチング、カウンセリングって結局のところ、分野こそ違えど何らかの論拠を学ぶのかなとわかったこの頃です。